だれも一緒に来てくれない「無一随者』⑥ 最終回

【自灯明・法灯明】

お釈迦様はクシナガラの沙羅双樹の下で最後の説法をします。「弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、自らを灯火(ともしび)とし、自らをよりどころとせよ、他を頼りとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ。他の教えをよりどころとしてはならない」(『仏教聖典』)。自灯明・法灯明(自洲・法洲)と言われる教えです。人に頼るのでなく自分をよりどころとする。その自分を支えてくれているのは仏法であり、他の教えを頼りとしない。これは、自分の思うように好き勝手に生きよ、ということではなく、仏法を灯火として生きよということです。最後に頼むべきものは仏の教えと、それを信じる自分です。犀の角ともいいます。

しかし煩悩具足、欲望や執着にまみれた愚かな私たち凡人はそんなに雄々しく生きられるでしょうか。そんな私たちにそっと寄り添ってくださっているのが仏様や菩薩方です。

【仏・菩薩は寄り添う】

それを親鸞聖人は和讃で詠っておられます。

南無阿弥陀仏をとなうれば 観音勢至はもろともに
恒沙塵数の菩薩と かげのごとくに身にそえり

「南無阿弥陀仏を称える人には観音・勢至菩薩はもとより、ガンジス河の砂の数ほどの無数の菩薩がいつも影のように寄り添って護って下さっている」。さらに「一人居て喜ばは二人と思うべし。二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」(『御臨末の御書』)とも…。どんなに寂しい時でも一人ぼっちでなく寄り添い護ってくれている存在があります。

全6回の連載は、今回で終了となります。

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