坐る・食べる! 仏教は懐が深い!
第34期 K.K.
テレビの特集番組などで見る禅は、堂内での坐禅だけでなく食事など生活の全てが厳しい修行であるが、今回の参加にあたってバスを降り研修所の看板を見て入るだけで全身に緊張が漲る。
しかし、その緊張を和らげてくれたのは、宿泊棟で二人一室での部屋が割り当てられていたこと。しかし、ホッとしたのは、その時だけ。宿泊棟から本堂、食堂、禅堂などへの移動中は無言が原則。叉手当胸で両手を重ねて胸に置いて移動。本堂や禅堂に入る時の礼拝や座る時にも作法が有ります。
1日目、開講式後に坐禅、作務などを終えて夕食。これが日常生活では、ゆったりとした和みや楽しい時間なのですが、厳しい作法が有ります。しかも、初日の最初の食事の時間に飯台看という配膳の担当に当たりました。せめて、2回目以降であれば他の人の動作を見ることで学習することが出来たのに……。
ご飯を持って配膳するときに習った通りにするつもりでも頭では判っていたのですが身体がついていきません。和尚から大きな声で叱責が飛ぶと身が竦み動作が止まってしまいました。
2日目も早朝5時起床。体操の後、坐禅、朝課そして、食事。今度は、飯台看が回ってくるのに合わせて鉢を出し量を指示するのですが、声を一切、出さずに動作で伝えねばなりません。
お粥に梅干しの朝食をすすりながら、不意に涙が出そうになり、それを堪えることに必死でした。何故、そうなったかも判りません。
そうした中、昼、夜と坐禅を重ねることで、最初は早く終わらないかな?と時間が気になったり足が痛いのを堪えていたのが無くなり余裕を持って坐ることができるようになっていきます。
そうして、朝食の時の涙を堪えたのは、お米の生産者から多くの人の手を通して食事ができる事のありがたさ、多くの人の支え、御仏によって生かされている事に気がついた自分。そういった事に、はっと気がつきました。
禅修行では、娑婆での生活や要領などの一切が役に立ちません。起きてから寝るまで、全てが厳しい修行でした。
仏教は懐が深くて、色んな教えがあります。更に修行は続きます。
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