絶対価値の世界に触れる -仏教を学び、無限を感じる-
はじめに
仏教よりもさらに広い概念として宗教があります。宗教と仏教というのは、当然関連もしているし、宗教の概念を知った上で、仏教を知っていくことは非常に重要だと思います。
宗教を広く学ぶと、宗教間や宗派間のいろいろ相違点が目につきます。キリスト教と仏教の違い、仏教の宗派の違いなどに皆さん、興味があると思うのですけど、相違点を学んでいくというよりは、共通点、何を共通に目指しているかというところを、ぜひ学んでいただきたいと思います。
細かい宗派の違いなどを深く知るのはすごく大事ですけども、そのときにやっぱり全体を見回せるという視点を持っていかないと大事なものを見失います。そういう学び方をしていただきたいと思います。
宗教の役割について
それでは、「宗教の役割について」というところから始めさせていただきます。
宗教がどういうものか、ということについてはいろいろな定義があります。宗教学者の数ほど宗教の定義があると言われていまして、これが宗教であるという決定版はなかなかありません。
その中から、まず、宗教はわれわれにとって、どういう意味があるのか、どのような役割があるのかという観点から、いくつか宗教の機能をピックアップしてお話ししたいと思います。
宗教は、「霊的存在、目に見えないものの認知」という役割を担っているといわれています。
ここにいろいろな方が宗教の定義をどのように見ていたかというのを並べているのですけども、タイラーという人類学者がいます。宗教の原初の起源を研究された方なのですけれども、「宗教の最小限の定義はもろもろの霊的存在への信仰である」、と述べています。
また、よくご存じの心理学者であるカール・グスタフ・ユングですけれども、ユングは、「ある目に見えず、制御することもできない要素を、慎重に観察し顧慮することであって、人間に固有の本能的な態度」である、と言っています。
ここで、霊的存在というのは、別の言い方をすると「聖なるもの」とも言い換えられるのですけど、一体どういうものでしょうか。まさに皆さんが霊というときに想像されるような人間の魂ですとか、そのようなものもあるでしょうし、またいろいろな自然現象なども含むでしょう。例えば、雷というのは突然稲光があらわれて空から地上に落ちてくるわけですが、昔は何でそのようなことが起こるのかがよくわからない、非常に不思議なものだったわけです。その当時の知識ではちょっと説明もできない。そういうときに、ギリシャ神話であれば、ゼウスが雷の槍を持って、神の怒りとして、それを投げていると説明したり、日本であれば雷神様が太鼓をたたいて雷の音を鳴らしているという説明をしてきました。
そういった自然現象や霊的存在、我々にはなぜそういうことが起こるのかわからないものを、神々や霊のはたらきとして説明するという役割を宗教が担ってきたわけですが、科学が発達してだんだん事実が分かってくると、宗教が果たさなくてはいけない役割ではなくなってくるわけです。ただ、先ほど申しましたように、科学というのはいろいろなものを分けて、細かく見ていって、事実を突き止めていくのですけれども、それでは逆につながりがよく見えなくなることがあるのですね。われわれには見えない地球全体、宇宙全体の活動みたいなもの、例えば地球や宇宙全体に流れる生命力とかエネルギーといったものは、なかなか科学的な細かく分けていく説明では捉えにくいことがあります。そういった存在を捉えていくという意味では、宗教の役割は引き続き大事であると思います。
そして、今日話したいことのメインです。古今東西の哲学者、宗教学者、そして宗教者が共通しておっしゃっていることがあります。絶対や無限の存在を感じて、それに出会うということが宗教の重要な役割であるということです。
例えばスピノザです。スピノザはもともとユダヤ教徒ですけれども、一神教、一神論ではなくて、あらゆるものの中に神が宿っているという汎神論を唱えて、ユダヤ教コミュニティから追放された哲学者です。このように言っています。「神とは絶対に無限な存在者である。すなわち、それぞれが永遠で無限な本質を表現する無限な属性からなる実体である。」少し難しいですが、それぞれのものの中に無限の本質、神が、その実体として宿っているということをおっしゃっています。
また、次にシュライエルマッハーという神学者です。近代の神学の父と言われるプロテスタンティズムの神学者ですけれども、宗教というのは「無限なものを、またその刻印や表現を見ようとする」ものであると。また、「宗教はその全生命をひとつの本性の中に持っているのですが、その本性というのはひとつであり全体である、無限の本性のこと」である、ということも述べられています。
また、「宗教の本質とは、思惟でも行動でもなく、それは直観と感情なのです。宗教は、宇宙を直観しようとするものであり、宇宙に固有なさまざまな表現と動きに対して、畏敬の念をもってそれに耳を傾け、子供のように受身な態度で、宇宙の直接的な影響にとらえられよう、あるいは満たされようとするものなのです」、と述べられています。
※こちらは第34回スクーリングで行われた大洞龍真塾長の講義の冒頭の一部です。
※詳しい内容、続きを読みたい方は、冊子「佛教文化」第209号をご覧ください。
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