自己を超える

宗教の意義は、自己を超えたものを知り、感じることにより、自分自身を知るというところにあります。これは、我々は、自己を超えたものにより初めて自己というものを持つことができるのであるともいえます。

道元禅師は、『正法眼蔵』に「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。」という言葉を残されました。

私たちの自己は、本当は自も他もない世界において、それを区別すること、すなわち「分別」することから生じます。一方、本来すべてのものは、自他、生死を超えた一切を含むものの中にあり、我々もその表れであるとする「一即一切、一切即一」が仏教的な見方です。

この分別に基づく意識的な自己と自己意識を超えたものという一見矛盾するものが、実はつながっており、一体であることを教えてくれるのが宗教です。

そして、自己を超えた本当の自分の姿を求める心が宗教心であり、仏教でいう菩提心です。これは決して神秘的な何かを求める心ではなく、本当の自己を知りたいという誰もが持っている欲求のことです。

日本の独創的な哲学を切り拓いた西田幾多郎博士は、このことを「知るということは、自己が自己を超えることである。自己が自己の外にでることである」「宗教的意識というのは、我々の生命の根本的事実として、学問、道徳の基でなければならない。宗教心というのは、特殊の人の専有ではなくてして、すべての人の心の底に潜むものでなければならない。」(『場所的論理と宗教的世界観』)と表現されています。

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