仏教の基礎
一、仏教について
お釈迦様の悟った真理を伝え、迷いや苦しみの中に生きている我々にそこから解放される道を説くのが仏教です。
一つ目の仏教の大きな特徴として、仏になるための教えであるということが挙げられます。キリスト教では、人間が神になるとはいいません。仏教は真理に目覚めることによって誰もが仏になれるという教えであるといえます。
2点目は、真理(法・ダルマ)は、お釈迦様がこの世に出られるかどうかにかかわらず存在し続けることが特徴として挙げられます。お釈迦様は、真理や世界をつくり出す、そういう存在ではありません。お釈迦様はこの世の真理に気付かれ、それを我々に知らしめられたということです。
3点目は、智慧の教えであることが特徴です。キリスト教やユダヤ教は啓示の教えであるといわれています。啓示とは神様が真理を特定の人に伝えるものですが、それは我々の側からその真理にアプローチしていくとか誰でもその真理に到達できるという教えではありません。仏教は我々が仏の智慧を得ていく教えであると言えると思います。
煩悩や我欲にとらわれて、真実の世界が見えていないことによって、苦しみ迷っている人間に、本当の世界の姿、真理を、ありのままに見ていくこと(如実知見)を通して、その迷いから解脱して、真の心の安らぎを得る道を示すのが仏教です。
二、釈尊のさとった真理
(一)「縁起」
お釈迦様の悟った真理とは、縁起の道理であるといえます。縁起の道理とは、全てのものは因果関係でつながり、関わり合いの中で存在していて、独立して存在しているものは何もないということです。
(二)「三法印」
仏教の旗印として、三法印が挙げられます。縁起から導き出される仏教の特徴で、かなり初期の仏典にすでに出ているものです。仏教には八万四千の法門があるといわれますが、仏教であるかどうかを見分ける重要な指標がこの三法印で、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」を指します。「諸行無常」とは、あらゆるものは移ろいゆくということです。これは縁起から導き出される世界の存在の動的な部分を観察すると導き出されるものです。二つ目は「諸法無我」。これは永遠に存在する実体はないということです。これは存在というものを静的に観察すると導き出されるものです。そして、三つ目は「涅槃寂静」、縁起に基づく真理をありのままに正しく見ることができれば、苦しみや迷いから脱して、真の心の安らぎを得ることができるという真理です。これはまさにお釈迦様の悟りの境地であって、仏教徒が目指すべき理想の境地が示されています。
そして、この三法印に「一切皆苦」を加えたものが四法印といわれています。一切皆苦とは、この世は生老病死など自分の思いどおりにならない苦しみにあふれているということです。これは人間存在の真実を見極められたものと言えると思います。
(三)「四諦八正道」
お釈迦様は真理を悟っただけではなく、救われる道を示されました。それが四諦八正道といわれるものです。
四諦とは、苦諦、集諦、滅諦、道諦という四つの真理です。苦諦とは、人生の真相は苦である、この世は思いどおりにならないという苦に満ちていることです。集諦は、苦しみには必ず原因があるということを示しています。
お釈迦様は苦の原因は渇愛であると言われました。渇愛とは、喉が渇いている人が水を求めるように、むさぼり求めることです。過剰な執着です。キリスト教で言う愛とは少し違います。仏教の中で愛が出てきたら、まずは渇愛のことです。
滅諦は、先ほどの涅槃寂静と同じことです。お釈迦さまは、苦の原因を滅してそこから解放されれば、悟りの境地に達することができると示されました。
そして、道諦は、涅槃寂静に至るための方法論となります。その方法が八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)といわれているものです。
八正道の中で、正見(正しい見解)、これが一番大事なもので、真理に基づいた見方をすることです。見解に基づいてあらゆる行動が起こるので、八正道の一番の基本は正見であるといえます。そして、正思惟(正しい考え)とは、正しい意図を持って行動すること。正語とは、正しい言葉を使うこと。正業とは、正しい行いをすること。正命とは、正しい生活をしていくこと。正精進とは、正しい努力をすること。正念とは、正しい心の状態をずっと保っていくこと。正定とは、正しい精神統一をしていくこと。この八つの道によって、涅槃寂静という悟りの境地に至ることができるとお釈迦様は説かれました。
しかし、ここで言う正しいとは何でしょうか。一般的に我々が正しいということは、道徳とか法律を守るとかいろいろあると思いますが、仏教で正しいとは悟りに近づくかどうか。すなわち真理に近づくかどうかであると考えていただければよいと思います。善悪についても、悟り・真理に近づいていくこと、苦しみから逃れる方向が善であると考えると、世間的な善と混乱をしないと思います。正しい見解のところで述べたように、世界のありのままの真の姿、つまり縁起の道理、それをしっかりと見定めて、それに基づいた行動をしていくことが正しいということです。そして、そこから外れることが偏った行いであり、中道から外れることだとお釈迦さまはおっしゃっています。
※上記は東京国際仏教塾第35期スクーリングで大洞龍真塾長の講義の冒頭部分です。
※詳しい内容、続きを読みたい方は、冊子「佛教文化」第213号をご覧ください。
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