日蓮宗専門課程 妙厳寺にて

第34期 K.K.

人が、宗教に引き寄せられるのは、色んな動機が存在します。病気の悩み、家族の問題、人間関係などなど身体のこと、心のこと、人は何かの試練に遭ったときに、神聖なもの、超自然的なものに、救いを求めることは知られています。

私の場合は、たまたま聖書を読んだことからキリスト教を勉強し始めた高校生の頃、『倫理社会』の授業では、発表の担当が「仏教」に当たってしまいガッカリしながら取り組んだことで仏教に出会い漠然とした中では他力本願の教えより自力本願の「禅」に興味をもったことに端を発します。そういう意味では、世間一般での宗教への関心とは違い知的興味からでした。

大学生になった時、家元から離れて入った下宿先には、仏教系、キリスト教系の新興宗教(カルトも含め)勧誘も活発に行われていました。そうした時、高校時代に勉強した仏教、聖書の知識では対応も困難となった時、松竹映画『日蓮』萬屋錦之介を見る機会があり、それまで新興宗教の勧誘で知った「日蓮」とは違う探究心と理想主義の聖人を知り、数々の仏教書、日蓮宗学書を読むようになりました。そこで、日蓮宗各派の教義などを学び映画で家の宗派(臨済宗)とは違う「法華経」の響きにも興味をもちお経の独習を始めたりしました。大学を卒業した当初は、まだ、その学習は続いており近所の日蓮宗寺院に教えを乞いに行ったこともありました。やがて、年齢とともに仕事が忙しくなって行く中、それ以上のことは無くなっていきました。

しかし、自分が還暦を迎える前後に、妹の病死、母の死などが続く中、「還暦得度運動」を提唱されていた「東京国際仏教塾」を思いだし昨年三月の申し込み締切日に申し込みをして、何とか四月の開講式、そして第一回、第二回の修行と課題論文の提出で入門課程を修了、11月から第一回修行と同じ妙厳寺での専門課程の修行へと進みました。日蓮宗専門課程には、家が日蓮宗の信徒のSさん、お経が格好良いからと参加したOさんの二人がご一緒での3人での修行となりました。

日蓮宗の開祖、日蓮聖人は、「行学の二道を励み候べし。」と修行と修学の二つの道を学ぶことを重視せられました。専門課程の修行でも、朝のお勤め(朝勤)や作務から始まって宗学の勉強、お経の練習、日蓮信徒の使命と幅広く学んで行きます。

ただここで問題だったのは、ちゃんとしたお経や宗学の勉強が初めての方と違い独習から始まって、実際に寺院の僧侶とインドまで行ったこともある私は、ある意味、生意気でお経の練習は、おざなりで宗学の学習でも先走って進んでしまうこともあり、同期のお二人の修行の邪魔になったことも有ったと思います。

いちばん困ったことは、修行先の妙厳寺のご住職は日蓮宗声明師の方であり普通のお経の読誦に加えて「声明」の練習が有ったこと。私にとっては、大寺院の法要の時の儀式作法との認識で余り興味をもって練習できなかったこと。逆に初めてお経と声明に取り組んでいる同期の方と調子を合わせるでなく独自の道を歩んでいるようなことも有りました。3月の最終考査を控えた2月の修行でも「声明」に関しては、完全に同期のお二人とは調子を合わすことが出来ない状況に陥ってしまいました。

そうした中、自宅に帰ってからも日々の諸事に忙殺されて何もすることなく3月の最後の修行に臨むことになってしまいました。

考査を最終日に控えた前日の夜、一人で「声明」の練習を続けるのを同期のお二人や先輩塾生の方々が、交互に様子を見に来てアドバイスをして戴きました。無事に考査を終えて今、思うことは、やはり「東京国際仏教塾」に入って良かった、という事。「仏教」は素晴らしい。そして、ここで知り合った同期の方々とも手を取り合って先の道へと進んで行かねばならないということです。

先ずは、35期の方の修行のお手伝いからをと思っています。