わがままな自分との決別

第35期 A.A.

今回の修行において最も心に深く刻まれたことは、全てが自分の思いどおりになるわけではないという教えだ。それは当然のことだと指摘を受けるかも知れないが、今までの私は、自分が思い描いた通りに行動してくれることを相手に期待していた。例えば、指差し確認の不徹底で自宅の戸締りが不充分だった子供を叱ったり、約束した期日を守らず仕事を出してくる部下に腹を立てたりなど、どうしてこんなこともできないのかと常に自分中心の基準で物事を判断していた。しかしながら、これらは全て執着であると同時に煩悩であり、煩悩は苦を生むことを反省した。それは、欲深さや執着を意味する「貪」と怒りや嫌悪を意味する「瞋」そして仏教の正しい教えを知らない無知を意味する「痴」を三毒とする。全てが自分に当てはまることではないかと何とも言えない衝撃を受けた。

修行を終え、3日ぶりに帰宅すると、妻が便所を綺麗にしてくれていた。修業のおかげで心が澄みきっていたのか、私は、とても清々しい気持ちと妻に対する感謝の気持ちで、思わず心の中で手を合わせた。そして、清々しさの恩返しに私も風呂場の掃除をした。汚れを落とすことに無心になった甲斐もあり、風呂場は輝きを取り戻した。そして、今回は相手に何も期待していなかったが、数日後の寝室掃除で妻が手伝ってくれた。お互いに執着を捨てて無心に取り組めたかどうかは自信はないが、風呂場の垢も便所の汚れも寝室の埃も全ては自分たちが生み出したものであって、相手に気持ちよくなってもらうためにも自らが献身的に努めることが利他の精神につながるのだと考える。

今後は、全てが自分の思い通りになるわけではないという教えを根幹に、放下着に努められるよう精進していきたい。

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