風呂焚きの作務

第35期 S.H.

第1回の修行体験を終え早くも一週間が経とうとしている。修行はほとんど多くの内容が初めてのことであり、修行を終了した直後は落伍することなくただ終えられてよかったという気持ちばかりが強かった。しかし今振り返ると、特に第1日目の風呂焚きの作務が心に残っている。

修行1日目は同じ作務の班の人達のこともわからず、また自分がどのようなところにいるのか回りを見渡す余裕もできていない状態で風呂を薪で焚く作務を仰せつかった。全く事前の心構えも考える間もなく、マッチを擦り、新聞→小枝→小さい薪→大きな薪の順で焚いていった。小さな火はなかなか安定せず、マッチ1本で点けた火を消してはならないと一心不乱で火と薪と格闘した。この間自分を意識することはなかったと思う。我を忘れていたという言葉の通りだ。やっと大きな薪が燃え出し放っておいても大丈夫な状態になったときに、妙厳寺に到着してから始めてほっとして周りの景色をみることができた。裏山の木々の緑が鮮やかであり、また同じ作務の班の人が近くにいることを感じることができた。

振り返ると、無心ということは、火を絶やさないようにということだけの気持ちで作務にとりかかっていた状態のことなのかもしれない。日常の生活では、誘惑や考えるべきことも多く、なかなか無心になるという状況は得にくい。しかし、無心の状態を知れたことは意識できるということであると思う。火と格闘した無心の状態を忘れず、今後の修行にも励んでいきたい。

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