量子力学と縁起ー「関係性」を示す世界像

私たちは普段、目の前のものが「確かにそこにある」と信じて疑いません。
私が見ていようがいまいが、月は夜空に浮かんでいる。それが当たり前の感覚であり、近代科学もまた、この「客観的実在」という前提のもとに発展してきました。しかし、物質の根源を探る最先端の物理学「量子力学」は、この常識を根底から揺さぶる世界像を私たちに突きつけています。

量子力学が扱うミクロの世界(原子や電子など)では、物質は観測されるまで、その状態が一つに定まりません。特定の一点にある「粒」としてではなく、あちこちに同時に存在しうる可能性が重なり合った、まるで「波」のように曖昧な状態で広がっているのです。そして、それが測定装置などと「相互作用」(=観測)することによって初めて、一つの確定した「粒」として姿を現します。

これは実に奇妙な描像です。まるで、世界は観測されるまで確定していないかのようです。かのアルバート・アインシュタインでさえ、「私が見ていないときに、月は存在しないとでもいうのか」と懐疑的でしたが、その後の数々の精密な実証実験は、量子力学の記述が正しいことを強く支持しています。

科学は客観的な真理を探究する営みです。しかし、その最前線では、「観測される対象」と「観測する側(あるいは周囲の環境)」を明確に切り離すことはできず、むしろ両者の「関係性」こそが現実を作りあげていることが示唆されたのです。

この「物事は単独で存在するのではなく、関係性によってその姿を現す」という、現代科学が到達した新たな世界像は、約二千五百年前にお釈迦様が説いた「縁起」の道理と深く響き合います。

縁起(縁によって起こる)とは、すべての存在は網の目のようにつながり合い、相互に依存し合うことによって成り立っているという真理です。何一つとして、他と切り離されて独立して存在するものはありません。私たちが確固たる実体があると思っているものも、実はさまざまな縁(条件)が結びつき、一時的にそのように見えているに過ぎません。固定的な実体はなく(諸法無我)、すべては関係性の中で絶えず変化し続けているのです(諸行無常)。

近代科学は、物事を細かく分解し分析するアプローチ(要素還元主義)で目覚ましい発展を遂げてきました。しかし、皮肉なことに、その最先端が、独立した実在性を否定し、「関係性」こそが本質であると示唆している事実は、非常に興味深いことです。

もちろん、科学と仏教は、その目的も方法論も異なります。
科学は客観的なデータに基づき物質世界の法則を記述しようとし、仏教は主観的な体験に基づき心の苦しみから解放される道を説きます。両者を安易に同一視することは慎むべきでしょう。しかし、アプローチを異にするこの二つの探求の道筋が、「すべてはつながり合っている」という世界の根源的なあり方について、同じ真実の風景を指し示してくれているように思えてなりません。

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