ふたつの曲が意味するもの

ふたりのミュージシャンの曲を取り上げます。
ひとつはMIYAVIの『Hands to Hold』。もうひとつは藤井風の『帰ろう』です。
MIYAVIは「手をつなごう」と訴えます。藤井は「手を放そう」と唄います。
歌詞、曲調、演奏スタイル、そして内容も相反するように聞こえてくる曲ですが、底辺の部分で共通するものを感じました。
中村 元先生の著書『ブッダの言葉』(新潮社刊)に、「慈はmaitrī(マイトリー)といい、友情を意味する。悲はkarunā(カルナー)であり、これは心からの同情の気持ちを表す言葉である。(中略)真に相手の幸福を思って接する〝まことの心〟それが慈しみのこころである」。また「怒りと怨みと訳されるdveşa(ドーゥヴェーシャ)は手にしたいと思ったもの、こうあれかしと期待したことが邪魔され、成就しなかった時に沸き上がる害意、敵愾心であり、三毒といわれる大きな煩悩の一つに数えられている。」「みずから手放すならば、怒り怨みも自然と薄れ、消えていく」とあります。
このふたりの曲から感じる姿勢はブッダが語った「諸行無常 一切皆苦」に集約されているように思えるのです。
今は世界中が、これまで体験したことのない、見えない恐怖に陥っています。だからこそ「この世はすべて常ならざるもの」と覚悟して、無闇に恐れず、目の前にある幸せをありがたく過していけば、「無常の教えは一転、永遠の幸福へとつながる道を説き示す福音となる」(前出『ブッダの言葉』)。
それぞれアプローチは違っていても、ここに尽きるのではないでしょうか。

#東京国際仏教塾 #仏教を学ぶ #ブッダの言葉 #中村 元 #怒りと怨み #慈愛 #煩悩

前の記事

Take it easy!