こころの時代④―道を求める姿勢―

東京大学名誉教授であり、東京国際仏教塾の第1期から13年間にわたり、講師をお引き受けいただいた鎌田茂雄先生。1996(平成8)年、東京国際仏教塾のスクーリングでの講演内容を引き続きお届けします。今回は連載第4回目です。

《在家へのいましめ》

それから、さらに、五つ位、私達への誡めを書き、他人と暮らす時の心得を言っています。
第一には、「慈悲心を起こす」ことです。「慈悲心を起こして、他人の憂いを忘るることなかれ」と言っております。つまり、他人の心を心としなさいということです。なかなかできないことですが、先ず慈悲心を起こす。こういうことを言っているのです。「他人の悩みを共有しなさい」と。
悩みというものは、他人に話すと、ある程度治るものです。 ですから、話せる友達、話せる親友、そういう人を持たないといけません。
第二には、「柔和な面をそなえる」ことです。
顔が柔和でないといけないというのです。慈悲心を持てば、当然顔が柔和になります。柔和な顔でないといけない。怒った顔はいけませんと、いうのです。
そして、さらに「瞋の相を表わすことなかれ」。
当然です。顔が柔和であれば、怒らない。この怒らないということが大切です。
人間は、どんなことがあっても怒らない修行をしないといけません。現代はどちらかというと朝から晩まで腹を立てることばかりの事件が、次から次へと起こっています。腹を立てていたらきりがありません。困ったことです。
第三には「自分を卑下してはいけない」ことです。
というのは念仏踊りの会には、非常に社会的な階層の下の方も集まっていたからです。と同時に「驕慢心を持ってはいけない」と言っています。驕り高ぶる気持ちもいけないのです。どんな境遇を送ろうと、なんであろうと自分を卑下してはいけない。そして同時に、社会的な地位があるからと言って驕り高ぶる気持ちを持ってはいけない、といっておられます。
第四には、『不浄の源を感じなさい』と言っています。
不浄の源と言うのは、人間が死ぬと段々変化をしていきます。それを昔の人は九つに分けました。
たとえば、死んで暫く放って置くとどうなるか。今の人にはあまり分からないでしょうが、中世の人は自分のこととして見て知っていたのです。「応仁の乱」の時には、京都の加茂川は死体であふれ、河原が死体で埋まったといわれています。死体とは最後にどうなるものかということをみなが知っていたわけです。
最近、ちょっと頼まれまして書き物をしました。「一休の骸骨」という本ですが、骸骨とは、また、ふるった名前をしていますが、これがまた面白いのです。
骸骨が登場しまして、会話をしたりするのですが、その骸骨のいろんな絵が、いっぱい書いてあって、その下に歌が書いてあります。そこには、人間が死んで骸骨に成っても、まだまだ救われないことが沢山書いてあるのです。
例えば、骸骨ばかりがお葬式をするのです。棺桶を担ぐのも骸骨、提灯を持っているのも骸骨、それを絵にしている。棺桶の中に入っているのはだれかというと、これは普通の人、死んで亡くなった人です。それは、高貴な人のお葬式を連想させるものでした。ちゃんと提灯を持ってずらりと骸骨が並んでいる。駕竜を担いでいるのも骸骨、それが京都の火葬場であった鳥辺山へ運んでいるのです。そういう絵が描いてあるのです。
それは、死んでからもこうなるのですよというのか、生きていても骸骨がしているのと同じようなものですよといっているのか、描かれています。
そのように、絵が並んでいるところに時々教えとしての、歌が書いてあるのです。
これを見ていくと、本当に凄いと思いました。
そして、一休さんは、仏というのは 〝虚空〟だと書いています。
「仏は、虚空なり」と。
「何にも無い、大虚空。これが仏だ」と。
人間は死ねば大虚空。生まれる前も大虚空。
生きている時は、骸骨に肉をつけてなんとかやっているけれども、その間は、実に短いものです。70年か、90年、せいぜい100年です。
若い骸骨は元気がいいから、飛び跳ねている。年寄りの骸骨は年寄りらしくよろよろとしている。そういう情景を旨く描いています。それが不浄の源を感ずるということになるのです。
人間は死ねば汚い。生きている時でも、いろいろ汚い物を出して生きているのですから、死ねばもっと汚い。
そういう根源を、よく見詰めて生きなさいよ、と言っているのです。
そうすると何が分かるかというと一遍上人は「愛執の心を起こしてはいけない。愛執というのは囚われのことです。自分のものだ。自分のものだと執着する心です。
骸骨を見ていると愛執の念は消えます。
人間も所詮は骸骨だから愛執の念も消えていくということでしょう。
第五には、「無常の道理を感じなさい」と言っております。
無常を感じる。これは仏教の本には、どこにも出てきます。
無常を感ずる。無常の道理を感ずる。そうすると貪欲が離れると説きます。貪りの気持ちから離れる。
先にお話しましたように、死んで持ってはいけない。
そういうことが分かってくる。死んで持ってはいけないとなると、あまり貪らなくなるものです。
-つづく-