本当の気は70歳から
1998(平成10)年、東京国際仏教塾の開講式で行われた鎌田茂雄先生の記念講演を18回に分け、毎日ご紹介しております。本日は第5回です。
佐藤一斎先生は、 「志気しいきに老少無し」。 といっています。 なかなか良い言葉だと思い、 書き記しておいたのです。
「血気には老少有りて、 志気には老少無し」。 人間の体力から発する血気には、 青年と老年とは大きな違いがあるが、 精神より迸り出る志気の方には、 老年と青年の間に違いがない。 これが佐藤一斎の考え方なのです。
「血気」、 血の気と書きまして、 血気には老少に大きな差があるが、 「志気」、 精神から出る気には差がない、 と言っています。
これが今日のお話しとは、 年取った人にだけに通じる言葉ではなく、 若い人にも同様に通じる言葉です。
毎回の講演の時に申しますが、 合気道の創始者に、 植芝盛平うえしばもりへいという方がおられます。 植芝先生が何時も言っていた言葉が、 この志気に老少無しなのです。
合気道では本当の気、 強い気が出てくるのが七十歳を超えないといけないというのです。
植芝先生は、 ピストルや八段の剣士と、 真剣で闘ったことがありますので実感なのです。
70までは小僧。 幼稚園ですからぜんぜん気が鍛えられていない、 というのです。
70を過ぎると本当の気が出て来る、 ということを私が、 自分なりに考えてみますと、 力が無くなったからだと思うのです。
力があると、 力に頼ってしまいます。 しかし本当の気というものは、 完全に力を抜いて出す力なのです。
力を抜いた力。 これが一番強いのです。
70までは肩が怒っているのです。 つまり肩に力が入っているのです。 これでは本当の気は出て来ない、 ということなのです。
完全に力を抜くと、 人間には自分の力ではないものが生まれてきます。
それは、 天地自然の宇宙の力なのです。
植芝先生の言葉を借りますと、 神の力が自分に働いてくる。 仏教でいえば、 仏の力がそこに働いてくると言うことなのです。
完全に自分の力を捨てたときに、 それは現れてくる。 これが信仰ということでしょうが、 武道でも全く同じである、 と植芝先生はおっしゃっています。 -つづく-