老人に来日無し

1998(平成10)年、東京国際仏教塾の開講式で行われた鎌田茂雄先生の記念講演を18回に分け、毎日ご紹介しております。本日は第6回です。

佐藤一斎先生は、 老人が勉強するには、 益々志気をあげまして、 青少年や壮年の人達には、 負けてはならない。 老人は、 志気は有るのだから若い人には負けてはならない、 というのです。
若い人の立場に立ちますと、 少壮の人達は、 前途春秋に富んでいるから、 今日学ばなくともこれから先に学ぶことができる年月があるだろう。
しかし老人には、 それが無い。 老人には真に来日無し。 つまり、 未来が無いということを書いています。
「老人の学がくを講こうずるには、 当まさに益ますます 志気 し き を励はげまして、 少壮の人に譲る可べからざるべし。 少壮の人は春秋富しゅんじゅうとむ。 仮令今日たといこんにち学ばずとも、 猶なお来日らいじつの償つぐなう可べき有ある容べし。 老人には則すなわち真しんに来日無し。 尤もっとも当まさに今日学ばずして来日有りと謂いうこと勿なかるべし。」

[ 川上正光全訳注 (講談社学術文庫)
言志四録 (二) 言志後録243では 「しき」 と読みガナあえてそのままの読みガナを使用。]

来日無し。 明日を待てない。 これが老人なのです。 だから老人は今日一日を、 しっかりとおくらなければならない、 ということです。
中国の朱子も同じことを言っています。
「謂いうこと勿なかれ。 今日学ばずして来日ありと。 謂こと勿れ。 今年学ばずして来年ありと。 日月逝きぬ。 歳、 我れと延びず、 鳴呼、 老いたり、 是れ誰の愆あやまちぞや。」
月日のたつことが、 如何に速いことか。 しかし、 自分の歳というものは、 少しも延びていかない。
これは有名な、 朱子の言葉なのですが、 歳をとると痛切に感じます。
佐藤一斎先生の基本的な考えは、 老人は先がない。 しかし、 若い人には負けないような、 志気を持っているのだから、 それを奮い立たせて残った年月を、 充実させて生きなさい、 こういっています。
あと僅かしかない年月を、 悩んだりせずに、 安らかな気持ちで過ごさねばならない、 ということは当然のことではないか、 と思われます。
仏教の教えでも、 儒者の教えでもどんなに時代が変わろうとも、 やはり、 本当のことを言っています。   -つづく-

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