縁によって巡りあう
1998(平成10)年、東京国際仏教塾の開講式で行われた鎌田茂雄先生の記念講演を18回に分け、ご紹介しております。本日は第9回です。
佐藤一斎先生は儒者ですから、 神とか仏とは言いません。 自分の節制の中で、 自分の節度の中で日日是好日となるように求めていったわけです。
このように何でもよいのですから、 自由に選択したうえで求めていけばよいのです。
八宗綱要ではありませんが、 仏教には色々な教えの門がありますが、 それぞれ自分に適したものを学べばよいのです。
禅宗がいいという人はそれを学べばよいのですし、 浄土教でも密教でも、 法華経でもどこから入ってもいいのです。
仏教の中には8万4千の法門があるわけですが、 入り口はさまざまでも、 最後の到達地点は皆同じなのです。
さらに言えばキリスト教でもいいのです。 あるいはイスラムでも。
これはその人個人の好みなり、 偶然の出会いというものが影響してくるわけですから。
それでは人生に偶然があるかというと、 大問題になりますが、 一言で言えば、 偶然と思っていることが偶然ではないのです。
あらかじめ何かに決められたレールの上で、 偶然と思うことにぶつかっているのです。
それは偶然であって、 大きな意味の必然の中の、 流された偶然なのです。 人生には偶然はないのです。 人生という一つのレールの上で、 何となく決められている。 難なくそうなっていくのです。
それは縁ですから。 仏教ではこのことを因縁と言います。 -つづく-