日常の死生観
1998(平成10)年、東京国際仏教塾の開講式で行われた鎌田茂雄先生の記念講演を18回に分け、ご紹介しております。本日は第10回です。
つぎに佐藤一斎先生は死生ということを説くのです。 皆、 死生ということはよく分かりません。 死ぬことがよく分からない。 だから生きていることもよく分からない。
死生というものは分からないのだと決めていますが、 そうではないのです。
そこで一斎先生はこう言います。 昼夜は死生なり。 昼と夜は死生なりと。
昼夜は生死、 と言ったほうがよいのかも知れません。 太陽の運行で言うならば昼は生で、 夜は死であるとなるのでしょう。
つぎに、 醒睡せいすいも死生なり。 醒さめているときと眠っているときとです。 気持ちが醒めているときは生きていること。 気持ちが眠っているのは死んでいることです。
そのつぎには呼吸も死生なりと言うのです。 呼吸というものは勘違いしやすいのですが、 吸うのは死で、 吐くのが生なのです。
なぜ吐くのが生かというと武道を見ているとよく分かります。 剣道でも合気道でも空手でも、 攻撃の時には息を吐かないと力が入りません。
そればかりでなく、 出る息が生で、 引く息は死なのです。 ですから死ぬときは息を引き取ると言い、 息を吐くとは言いません。
生死を知ろうとするならば、 一呼吸のうちにも死生の道理が現れているのです。
私も、 毎日毎日原稿を書いておりますと、 疲れて書けなくなります。 そのときは息を思い切り吐くのです。
息を吐くとき、 下腹部がグワーッとふくらんでこないとだめなのです。 下腹部に力が入るということなのです。
元気であるということは息を吐いていなければいけないのです。 -つづく-