虚空に生まれ虚空に帰る

1998(平成10)年、東京国際仏教塾の開講式で行われた鎌田茂雄先生の記念講演を18回に分け、ご紹介しております。今回は第17回です。

天地と鼻と通じるようになる。 そうしますと人間というものは、 天地虚空と言ってもよいのですが、 仏教の言葉を使えば虚空です。
その虚空の大いなる命、 生命。 その中のほんの一環として自分の心がある。 身体がある。 そして、 自分がある。 だから自分というものは、 虚空の中のたった一つでしかない、 ということです。
虚空というものを、 仏、 あるいは神と置き換えてもよいのです。 が、 自己というのは虚空の中に生かされて虚空の中へ消えてゆくのだ。 つまり仏の中に生かされて、 仏の中へ戻ってゆくのだ、 ということになります。
これは自然科学的にもそうなります。

天地 (虚空) の呼吸
宇宙があり、 その宇宙のエネルギーから地球ができる。 生物ができる。 人間ができ、 そしてまた、 人間が死んで行く。 すると土に帰る。 虚空に帰って行くわけです。
人間というものは、 宇宙の生命の中から生まれて、 またその中へ帰っていくのです。
その現世にいる、 七十年なり八十年なりを生といい、 その自分の現世よりも前は死であります。 そして、 現世よりも後も、 また死と呼んでいるわけでもあります。
これは別に死と呼ばなくてもよいのです。 こういうふうに生きて呼吸をして、 そしてまた、 帰って行くにすぎない、 ということになります。
平野重誠が言っているのは、 呼吸法として言っているだけでして、 この呼吸法で言っていることを、 宗教に転用します。
すると、 仏の中から生まれ、 生かされて、 そしてまた、 仏の世界へと帰って行くのだと。
それを浄土と呼んでもいいわけですから、 死んでから浄土へ参ると言ってもいいし、 行く前は業と呼んでもいいのです。
こうして生まれ、 死に流れていくことを、 輪廻と呼んでもいいわけですから、 仏教ではこのような呼び方をしているわけです。
それを呼吸法に転換しますと、 天地の虚空のなかで呼吸をしている。
自分の呼吸であって、 自分の呼吸ではない。 天地 (虚空) の呼吸を、 ただ自分が行っているだけである、 というのです。
ですから、 仏とか、 神とか、 虚空とか、 宇宙の生命力とかは、 皆同じ言葉です。
ただし、 キリスト教の場合は、 神が絶対の力を持っていますが、 仏教の場合、 仏様は悪を懲らしめる、 というような強いことは致しません。
ただ絶対的な命がある、 という点では同じようなものなのです。   -つづく-