「老害」「若害」は受け止め方次第?
イライラする人が多くなっていると感じませんか。
昨今の病院関係者、患者への言葉の暴力や差別、偏見。目に余るものがあります。
高齢の人が「老害」と呼ばれるまでに、乱暴になったり、大声を張り上げたり。
若者たちに「若害(造語)」がないかというと、すれ違いざまにぶつかって来ても、にらみつけられたことは一度や二度ではありません。
自分自身を振り返れば、電車の中で走り回る子供にいらついたり、隣の人の咳払いが気になり、眉間にシワを寄せたり。
なぜ現代の老若男女、皆がイライラして「害」がつくまでに生長してしまうのでしょう。俯瞰で見てみると心の中で「自分〝だけ〟大事」という考え方が起因ではないかと考えるようになりました。
親がいたからお釈迦様が生まれたように、人間はひとりで誕生したわけではありません。孤島で自給自足する人にも親がいるから、その方が存在しています。流通を含め、さまざまなスタッフがいるから、コンビニで物が購入できる。世界中、自分以外の人がいてこそ、自分というものが存在する。誰かに助けられている。人間同士の関係性は、どう払ってもなくならない無限の連鎖です。
関西の寺社に行くとパナソニックの創業者、松下幸之助寄進と書かれた石灯籠などが多くあります。東京では、浅草寺の雷門にかかる大きな提灯が有名です。あちらこちらで見かけると、松下氏が成功した理由は商才だけでなく、かといって寄進で徳を積みたかっただけでもないように思えます。信仰ともややニュアンスが違うような…。むしろ「自分〝以外〟の人に支えられている」「ありがたい」という、他者への感謝の気持ちや心配りが底辺にあったからではないかと感じられます。
せっかく人間として生まれのですから、人間同士のご縁を大切にしたい。そう捉えれば、イライラも少しばかり抑えられるかもしれない。そんなことを連日の夏日に考えています。
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