言葉の響きに惑わされない姿勢

仏教を勉強し始めて、悩んだことのひとつに言葉の意味、正体があります。日本語なのに?と思われるかもしれませんが、これがなかなか手ごわい。
正体に悩まされる言葉のひとつに「空」があります。
仏教でいう「空」は、大乗仏教の基礎を確立し、日本仏教では古来「八宗の祖師」と仰がれるインドのナーガールジュナ、漢訳で龍樹が、お釈迦様が説く「縁起」を「空」と示したのです。
語源はサンスクリット語のシューニヤ。「家に人がいない」などの時に使われる言葉です。龍樹がいう「空」は、すべてのものには実態がない「一切皆空」。「あるのではない」「ないのではない」、「空」というあり方で存在しています。般若心経の「色即是空 空即是色」は、「形あるものは、すべて縁起により、仮に存在させられたもの」、そして「すべての形あるものは縁起において存在する」となります。縁起によって存在している状態を「空」というのです。
たかが「ひと文字」、されど「ひと文字」。わかった気になっていても、いざ文章にしようとすると自信がなくなってしまいます。言葉の正体を書いていくほど、言葉の響きにぐんぐんと引っ張られ、惑わされてしまう情けなさです。
仏教を学ぶ上で「縁起」と同じように「空」も重要な言葉です。スクーリングや修行の場で「縁起」「空」が登場してきたら、聞き逃さずにしっかりと学びたいものです。

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