現実的な中国人②

東京国際仏教塾第12期の記念講演で鎌田茂雄先生にお話しいただいた内容を5回に分け、一週間に1回、ご紹介しています。
今回は、その第3回目です。

今度は、 死のことはどういうときに考えるかと言いますと、 名誉や利益は飴のように甘いものであるが、 ひと度死ぬことを思い浮かべたならば、 たちまちその興味も冷めて蝋を噛むような味気ないものになるであろう。
名誉や利益、 財産というのは、 飴のようにだれでもそこへ集まってくる。 しかし、 死ぬことを考えればその甘い味は、 まさに蝋を噛むような味気ないものに変わるのではないか。 これは本当です。 中国人というのはおもしろいことを考えますね。 現実的に死を考えている。 一旦死を考えると名誉とかそういうもの、 あるいは財産を追い求めても、 それはつまらないものじゃないのかな、 と。
そこで、 故にとして 「人、 常に死を憂い、 病をおもんぱからば、 また現行を消して、 道心を長ずべし」。 だから、 人はいつも死ぬときのことを思い、 病気のときのことを忘れなかったならば、 色欲や名利のような幻のようにはかないものに惑わされることもなく、 道を求める気持ちを持続することができるのではないか。 道心といいますが、 道を求める気持ちを持つには死ぬことと、 病のことを考えてみなさい。 そうすれば、 道を求めようという気持ちが起こってくるはずであると言っているわけです。 確かにそういうことが言えると思います。   -つづく-

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