感傷的な日本人①

東京国際仏教塾第12期の記念講演で鎌田茂雄先生にお話しいただいた内容を5回に分け、一週間に1回、ご紹介しています。
今回は、その第4回目です。

日蓮さんや日本人が説く場合と感じが随分違う。 現実的に病とか死というものに中国人は対処していくわけです。 日本人は何となく感傷的に考えていきます。 これは日本人であっても仏教者だけではありません。 どんな人でもみんなそういうことを言っているのです。
いつも挙げます佐藤一斎という人、 江戸末の昌平黌の塾頭です。 東京大学の前身ですから、 今で言えば東京大学の総長ということでしょう。 江戸末期の大変偉い儒学者でありますが、 仏教のブの字も知らないのですけれども、 儒者であります。 しかし、 言うことはなかなかいいことを言っているんです。 この人は確か八十三か四で亡くなっていますけれども、 最後に書いた本が 『言志四録』 の中の一つ、 言志耋録です。 『言志四録』 の最後が言志耋録。 耋 (てつ) という字はおもしろいでしょう。 老いが至ると書く。 老いの究極。 八十歳で本を書いた。 だから自分の人生の最後の書だということになる。  江戸の末期の八十ですから、 今で言えば百から百二十。 百十ぐらいで本を書いたりするでしょう。 これが自分の人生の最後の書だ。 じゃあ立派にできるかというと、 ぼけていてあまりできないかもしれませんけれども。 まあしかし、 そういうものもあるわけです。 そうして書いたものです。   -つづく-

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