「無有代者』代わる者はいない②

【身代わり名号】

身代わりといえば、昔話や民話でお地蔵さんや動物たち、お守りが身代わりになって助けてくれたという話があちこちにあります。阿弥陀さまにすべてをお任せする浄土真宗では、迷信や占いを否定するのですが、やはりそうしたお話があります。一、二紹介しますと、一つは「そば喰いの御像」。親鸞聖人が法然上人の門下に入るきっかけになった百日間六角堂参籠の折、毎晩比叡山から姿を消すことから「朝帰りの範宴」と噂になりました。それを確認するために抜き打ちのそば会が開かれたが、聖人自作の木像が何食わぬ顔でそばを食べて事なきを得た、という伝説があります(京都・法住寺)。

次は有名な「身代わり名号」と呼ばれる物語です。『歎異抄』の筆者とされる唯円という聖人の側近のお弟子の話です。聖人が常陸の国で関東布教をしていた頃、北条平次郎という殺生を好む荒くれ者がいました。妻は反対に信心深く心やさしい人で、夫に隠れて聖人の草庵に通っていましたが、家で念仏を称えると夫が怒ると悩みを訴え、聖人から「これは阿弥陀様のお姿なので、大事にしなさい」と、「帰命尽十方無碍光如来」と書かれた十字名号を授かりました。

名号というのは、皆をたすけたいという阿弥陀如来の願いとはたらきと、それを信じて阿弥陀様にすべてお任せしますという人々の願いが込められた言葉で、六字の「南無阿弥陀仏」、九字の「南無不可思議光如来」、十字の「帰命尽十方無碍光如来」の三つがあり、どれも同じ「何にも妨げられない不思議な智慧と慈悲の光で救ってくださる仏様に帰依します」という言葉で、これを信じて称えることが称名念仏、「なむあみだぶつ」のお念仏です。これが極楽往生の元となります。

妻は聖人からいただいたその名号を、夫の留守にこっそり取り出して見てはお念仏を称えていましたが、ある日、夫に見つかります。平次郎は、今で言う不倫、男からの恋文と疑って怒り狂い暴れ出します。名号を懐にしまって逃げようとする妻を山刀で斬りつけ、息絶えた妻を裏の竹やぶに埋めて、家に戻ると、死んだはずの妻が出迎えます。驚いた平次郎がいきさつを話すと、妻は見ていた紙は怪しい手紙でなく聖人様から戴いたありがたい名号です、と言って、懐から取り出そうとすると、名号がありません。不審に思った平次郎が竹やぶを掘り返すと、妻の遺体はなく、「帰命」のところから袈裟懸けに切断された血染めの十字名号が出てきました。

赤く染まった名号を前に、平次郎は涙を流しながら髷を切り、これまで仏も鬼もないと誹謗していたが、これは地獄に堕ちる大罪だったと後悔し、夫婦で聖人を尋ねます。聖人は「悪逆の衆生を捨てず皆を慈悲と智慧の光明の中に摂め取るのが名号。これこそ悪人・女人往生の証拠。大切に敬いなさい」と説かれました。平次郎は改心懺悔して唯円大徳として聖人に仕え、96歳で往生したというお話です。

-つづく 次週5月20日へ-