聖者に会う心構え

お釈迦さまが祇園精舎においでになるときに、そこの王さま、パセーナディ王がはだしで訪ねてくるんです、お釈迦さんのお寺に。祇園精舎にはお寺のレンガ造りの跡が広大な土地にございます。発掘しているんだと思うんですけど。お釈迦さまの祇園精舎においでになったときに、王さまが突然訪ねてくるんです、はだしで。「どうしたんですか」ってお釈迦さまがいうと、「母親が亡くなったので埋葬してきたんです」と。重要なことは、親が亡くなったときご葬儀をするのに、息子ははだしで行うってこと。王さまがそれをやっていて、お釈迦さんも同じように、実はお父さんが亡くなったときに国へ帰って、ご遺体を担ぐときはだしでやっております。

今それが日本でどこに伝わっているかっていうと、私の知っている限り日本では、禅宗のお寺さんの住職が亡くなったとき、跡継ぎの副住職なり弟子ははだしです、どんな真冬でもお葬式に。皆さん注意して見てください。禅宗の場合は今でもそれ、お釈迦さんのやり方をずっとやっております。皆さん、そういう大事な儀式だったらちゃんと足袋をはいていくと思うけど、そうじゃないんです。それがインドのやり方。ですから今でも禅宗系はお師匠さんのご葬儀に、跡継ぎの弟子はどんな真冬でもはだしでなきゃいけないんです。

そういうような形でお釈迦さんが祇園精舎においでになるときに、パセーナディ王が訪ねてきた、はだしで来た。「どうしたんですか。」「母親が亡くなったんで、今埋葬してきました」って、こういうんです。そうするとその次にお釈迦さんが王さまに短いお説教をするんです。それは「亡き人に供養するというのは餉するがごとし」ってこう言うの。

餉という字は食べるという字に向かう、つまり食べ物を向こうへ手向けるっていう字です。これ、訓読みで「かれい」と読みますけど、音で読むと「しょう」と読みます。ここ四十~五十年前までは、昔お盆の法要のときに檀家さんがお米を袋に入れてお寺に奉納していました。そういう印刷がしてあって、それでみんなお米を入れてお寺に持ってきたんです、お盆のお経のときに。餉という字は手向けるという意味なんです。つまりあの世の父母や亡くなった人に食べ物を送る。これは例えば皆さん、離れて住んでいる子供に保存食やなんか、チョコレートなんかを送ったりしている。それと同じように遠くの人に食べ物を送る。

亡き人に供養するというのは、手が届かなくなった人に食べ物を送るようにしなさいと、お釈迦さんはいったんです。ですからここに、お坊さんに対して信者さんたちは食べ物を送るようにしなさいと、こういっているんです。そうするとお坊さんは、さらにそれによって人々に、あの世も安心、この世も安心、生きて良かったといえる安心感を与えなさい、こう言っているんです。こういうことがお釈迦さまの六方礼経の中の聖者と信者の関係性ということです。

※上記は東京国際仏教塾第33期スクーリングにおいての中野東禅先生の講義内容を一部、抜粋したものです。
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