曹洞宗にみる大乗仏教(第27期スクーリング講義録)
大乗仏教としての視点からみた曹洞宗についてお話しますが、基本的なことは、昨年の全宗派合同講座講義録(『仏教文化』第168号26・4・10)を参照していただきたいと思います。
お釈迦様の教えは、
(一) 縁起観を主体に、人間論、存在論、悟り論、生き方論の体系化
縁起という言葉は、仏教の基本ですので、大乗仏教も南方仏教もみな同じです。あらゆる存在は条件の集合である。宇宙も、地球も、皆さんの肉体も、人間関係も、好きになるのも、嫌いになるのも、みんな条件の集合。病気になるのも、死ぬのも同じことです。ですから、あらゆる問題はそういう意味では真理なのです。すべては縁起という真理です。これが仏教の基本の存在論です。
(二) 迷いと悟りの実践論に、インド文化の禅を深化させた瞑想実践による解脱を据えた
これが、インド文化と違うところです。インドの宗教と違うのは禅。いわゆる瞑想です。インダス文明が五千年ぐらい前に今のパキスタンのインダス川の流域にあったのですが、そこにヨーガというのが始まっていたわけです。インドの宗教で、行者が川の中でじっとしていたり、逆立ちしたりする苦行というのをよく聞きますが、それはインドを支配していたアーリア人の文化です。その人たちがカスピ海の方から持ってきた宗教が苦行だそうです。ですから、原インドのインダス文明はヨーガなんですが、ヨーガや禅と、苦行は異質なものです。
それを踏まえて、お釈迦様の悟りの基本は、坐禅の静寂。
命も心も静寂になる。仏性とか仏心と言われるものの原点は、その静寂です。静寂というのは、頭に血が上る以前という意味です。命の原点は静寂ですから、原点に戻ればいいのです。新たに獲得するのではなくて、戻るのです。戻ればすべては救われているという論理が成立するわけです。新たに獲得しようと思っても、獲得できない人がいっぱいいるわけですから、すべて救われるということは成り立たない。ところが、命や心はもともと静寂なんだということだったら、そこに戻ればすべてはみなさん仏性でしょうね。こういうことが論証できるわけです。これが、インドのお釈迦様の宗教の特徴であり、大乗仏教に発展するわけです。
※上記は第27期のスクーリングの講義内容の冒頭を紹介したものです。
※詳しい内容を知りたい方は、冊子「佛教文化」170号をご覧ください。