音を意識する

第34期 K.O.

鹿野山禅青少年研修所で行われた「禅に学ぶ」の修行で、最も心に残ったことは、食事作法のことです。禅宗の食事の作法は厳しいと聞いていましたが、実際に体験してみると、その作法はとても興味深いものでした。
大熊学監の講座の中で、まず、「食べる人も給仕する人も真剣にする。」というお話がありました。さらに、「啐啄同時」という禅の言葉を例に挙げられ、食べる人と飯台看の呼吸がぴったり合うことが大切だと言われました。飯台看の動きには無駄が一切なく、とても効率よく給仕が出来るように考えられていました。その動きに食べる人も素早く応え、合掌して自鉢を出したり礼をしたりして食事が進みます。初心者には少々難しかったですが、お互いの動きがスムーズに流れた時には心地よく、両者の呼吸を合わせることこそが今回の修行課題の一つだと感じました。

また、音を出さずにいただくということの意味も考えさせられました。噛む音、器や箸を置く音、食べ物を集める音を出さずにいただくと、意識が食事だけに集中しました。そして、出された食事をしっかりと噛みしめ、お米の一粒も大切に扱うことができ、感謝の念をもっていただくことができました。
音を出さない食事の中でも、出される音を意識して聞く場面もありました。給仕をする時、相手の「もう十分です。」を意味する手の平をこすり合わせるわずかな音です。相手の方に顔を向けていないので、いつ音が出るのか意識を集中していなければなりません。この際、音を意識することが相手のことを大切に想うことにもなるのだということにも気づきました。
今までこれほど音を意識して食事をした経験はありませんでしたが、この食事作法を学んで真剣に食事と向き合うことができ、前回の修行でも学んだ、命をいただいて私たちは生かされているということを改めて感じることができました。
あともう一つ、洗面時のコップ一杯の水も印象的でした。私が持ってきたのは折り畳み式の小さなコップでしたので、「こんな少量の水で洗えないわ…」と思いましたが、手の平に少しづつ注いで使うと顔を洗うのに十分な量でした。日頃どれだけ無駄に水を使っていたことか…。自鉢もそうでしたが、たくさん持つとこだわりが出るため必要最低限のものだけ持つ。ということも今回学んだ大切な教えです。
「禅」とは「なりきっている世界である」というお話もありました。坐禅も、音を立てない食事も、必要最低限の持ち物も、なりきって継続していくことでいつか自分のものになると信じて、今回の学びを普段の生活の中でも生かし続けていきたいと思います。

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