念仏の詩(うた)③

願わくは 花の下に春死なむ
その如月の望月のころ(西行)

名古屋と金沢を結ぶ国道156号線は、別名「さくら街道」とも呼ばれています。街道の桜は、国鉄時代「名金線」の路線バスの車掌をしていた佐藤良二さんによって植えられ始めました。

良二さんと桜の出合いは、岐阜県北端の御母衣(みほろ)ダム建設まで遡ります。当時の白川村御母衣地区の住人はダム建設にともなって、全戸移転することになりました。村のシンボルだった2本の桜も湖上へと引き上げることになって、樹齢400年ともいわれる古木の移植が始まりました。
前代未聞の工事の様子は注目を集め、報道陣と見物人で山里は賑わったといいます。無事移植が成功。翌年の春には皆の願いに応えて桜は見事に開花しました。

良二さんが、この桜を見に行った時、偶然、その地区に住んでいた老婆が桜に抱きついて泣いている姿を見たのです。その瞬間、良二さんは言葉に表せない深い感動を得たそうです。
その日の日記に「この地球上に天の川のような花の星座を作りたい。花を見る心がひとつになって、人々が仲良く暮らせるように」「人生の目標は人を喜ばせること」と記しています。
良二さんは太平洋と日本海を縦断する国道を桜で飾ろうと願い、その作業は次の日から始まり、病気で倒れ、47歳の生涯を終えるまで続きました。

荘川(しょうかわ)桜と名付けられた御母衣ダムの桜は老婆に感動を与え、その姿を見た良二さんの心に感動を呼び起こし、街道の桜の由来を聞いた人にもまた感動を与えます。感動の輪は、重々無尽に広がってとどまることはないでしょう。

大熊信嗣学監

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