涅槃寂静—心の安らぎ

「諸行無常」「諸法無我」と並び、仏教の旗印「三法印」の一つとして掲げられる「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」は、仏教が目指す究極の境地であり、お釈迦様が到達された「さとり」そのものを示す言葉です。

「涅槃」とは、インドのサンスクリット語の「ニルヴァーナ」が語源で、「吹き消すこと」あるいは「火が消えた状態」を意味します。ここでいう「火」とは、私たちの心を絶えず焼き、かき乱す貪り・怒り・愚かさといった煩悩の炎のことです。「寂静」は静かで穏やかな状態を示します。煩悩の火が吹き消され、一切の迷いや苦しみから解放された、心の安らぎの境地が「涅槃寂静」です。

私たちはなぜ、この煩悩の火に苦しめられるのでしょうか。
仏教では、その原因は世界のありのままの姿と、私たちの「こうあってほしい」という思いとの間のギャップにあると説きます。この世界の真理は、すべてが移ろいゆく「諸行無常」であり、何一つ固定的な実体のない「諸法無我」です。にもかかわらず私たちは、「変わらないでほしい」と願い、本来は実体のない「自分」という存在に固執します。この執着こそが、思い通りにならない苦しみを生み、煩悩の火を燃え上がらせる薪となるのです。

では、どうすればこの火を消し、安らぎを得ることができるのでしょうか。
お釈迦様は、その道を「縁起の道理」を正しく見つめる智慧にあると示されました。すべてのものは、互いに原因や条件(縁)となって関わり合い、支えあって存在している。この真理に目覚めるとき、私たちは自分という存在もまた、広大無辺な全宇宙的つながりの中で生かされていることに気づきます。そこに確固たる「我」はなく、すべては移ろいゆく仮の姿であると知れば、自分を苦しめる過剰な執着は自然と意味をなさなくなります。世界のありのままの姿を仏の智慧の眼で見つめることこそが、煩悩に振り回されない穏やかな心を得て、苦しみから解放される「涅槃寂静」への道なのです。

「涅槃寂静」とは、真理に目覚め、自己中心的な執着から解放されることで得られる心の安らぎです。
「私」という小さな殻から抜け出し、他者や自然との広大なつながりの中で生かされているという真実に目覚める時、私たちの心には、何ものにも揺るがされない穏やかな安らぎ、「涅槃寂静」の光が差し込むのではないでしょうか。それこそが、仏教が現代を生きる私たちに示してくれる、かけがえのない智慧と言えるでしょう。

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