仏教概論(第32期スクーリング講義)

「仏教概論」ということで、皆さんと一緒に考えたいと思います。ご存じのように仏教は今から2500年ほど前にお釈迦さまが説いたとされています。仏教はもちろんインドで生まれたのですが、そのままで伝わったものではない。例えば北回りですが、日本に伝来する前には中国、朝鮮半島、そして日本というふうに伝わった、あるいは南回りはスリランカから、ミャンマー、タイとか東南アジア地域に伝わったのですけれども、そのバリエーションたるや、ほとんど他の宗教、例えば世界宗教と今言われているイスラームであるとか、あるいはキリスト教とかありますけれども、それ以上かなと思うくらいバリエーションが非常に大きいところです。
ですから限られた時間の中で十分な説明はできないかもしれませんが、仏教ということ、それが現代にとってどういう意味を持つのか。もちろんお釈迦さまの言葉が現代においてどういう意味を持つのか、ということを一緒に考えていけたらと思いまして、学問的なという前提を持ってお話しさせていただきます。
皆さんは人生の大先輩の方が多いようですが、実は仏教というのは年齢が若いだけではなかなか理解できない。つまり、経験則というのでしょうか、そういうものがあって初めて分かってくる。私自身そういう経験をたくさん持っています。もちろん五蘊とか五戒とは何であるか、知識として答えることはできます。でも、本当に五戒がそれだけで十分かということを考えたときに、それこそお釈迦さまが、なぜ五戒の五つを選んだのかということに関しては、現在の年になってやっと理解できたと感じられることがいくつかあります。それは私自身が成長した、あるいは成長している、そういう姿をお見せできればと思っております。
今、いろんなことが起こっています。特に今回のお話というのは、令和初めて、あるいは改元されて初めてのことであるわけですが、おそらく皆さん方は昭和から平成に移るときも、また平成から令和に移る瞬間というのを体現しているでしょうから、そうすると、いろんな形でのセレモニーだとか、あるいは空気というのがあると思います。その中で自分自身が一体何を考えて、何をしていくのかということを、まず考えて、先につなげていくということをしないと、なかなか難しい。例えば今日の夕方にアメリカ大統領が来日します。四月から五月のゴールデンウイークにかけては天皇の退位、新天皇の即位ということがありましたが、まだまだこれからそういう儀式がたくさんあります。
そうしたときに、単なるそういう事件があったよというのではなくて、その事件の中に自分がどういうふうにかかわっていったらいいのか、あるいは、それに対してどういうふうな考えを持っているのか、ということをぜひとも自分自身の頭で考えていただければと思います。
 令和に改元され、巷では天皇の譲位、新天皇の即位があり、新しい時代への空気で満ちている中で、2500年前に説かれたとされる仏教は、現代においてどれほどの意味を持っているのでしょうか。お釈迦さまの言葉は、その時代、地域によって解釈がさまざまに異なる。そのバリエーションの多さを見たときに、仏教は他の宗教を圧倒しているだけではなく、インド文化圏から中国文化圏、さらには現代のグローバリズムへと複数の文化圏を伝播した世界宗教としての歴史を含むものであります。
お釈迦さまのメッセージはさまざまな文献で繰り返されるものですけれども、インドにおける最初期のものを学ぶことによって、そのあらわしているものごとを知識としてではなく、自分自身の奥底から感じるものとして捉えてみたいと思います。過去を学ぶことは、まさに現代を学ぶことでもあります。
本日の講義の内容ですが、具体的事例として、まず仏教の伝播とそのバリエーション、これは仏教を現代として、必ず捉えておく必要があります。次に最初に人として守るもの、これは仏教が仏教であるというのならば、現代まで続く基本的な事柄、それを五戒といいます。また仏教で本当に正しいことって何なのだろう、そういうことを考える。そして無慚と無愧、大不善地法という形で考えてみたい。
そして、説法のすべてとされ、お釈迦さまご自身が説いたとされる初転法輪があります。お釈迦さまの説法というのは、一体どういうところにあるのか。特にインドのガウタマ=シッダールタという個人、最初期のお釈迦さまは何を言わんとしたのかということをお話しさせていただきます。
そして、実践的態度、これはお釈迦さまが説いた無我と十難無記という形で、お釈迦さまが具体的に捉えたものを考えてみたいと思います。

※第32期東京国際仏教塾のスクーリングで行われた、佐野靖夫先生の講演の冒頭部分です。仏教に興味がある方は必須の内容となります。全文は冊子『佛教文化200号』に掲載されています。ご興味がある方は、東京国際仏教塾事務局へご連絡ください。