仏教概論(第30期スクーリング講義)

仏教では最も手強い煩悩として三毒というのがあります。貪・瞋・癡と言われるものですが、ご存じの方も多いかと思います。これは仏教の基礎であるわけですが、その煩悩の中で悟りを開くもっとも障りになるものとして三毒というものが、古来、それこそ二千数百年前の仏教から現代に至るまで、数え上げられています。
貪りの心と、それから瞋は怒り、怒りの心です。三つ目の癡、愚痴の心というものです。これからお話ししようとしていることは、この三つがどうして最も根本的な、厄介な煩悩になったのか。なんで二つじゃないのか、あるいは四つじゃないのか、必ずこの三つなんだっていうところに皆さんの考えを巡らせていただきたいなと。そこのところが仏教を勉強するにおいて、もしかすると何よりも大切ではないかと思うからです。

実際に、私の専門のアビダルマですと五位七十五法であるとか、十二因縁であるとか、法数と言いますけれども、いろいろなものを数え上げます。どうしてその数になったのか、なぜそのように収束してきたのか、先生方に聞くと、それは個人の問題みたいに言われてしまうこともあります。確かに、歴史的に何千年というスパンでそれは語り継がれてきたものなのですが、それに対して自分自身として、どのように思って、どうしてそのものになるのだろうかということを、まずは最初に考えていただきたいと思います。

※上記は第30期のスクーリングの講義の一部を抜粋したものです。
※詳しい内容を知りたい方は、冊子「佛教文化」195号をご覧ください。