仏教概論(第29期スクーリング講義)

最初期の仏教思想を中心に「仏教概論」を学びますが、今日お話しさせていただく具体的事例として、(一)十難無記 (二)五戒 (三)無慚と無愧(大不善地法) (四)初転法輪 (五)無我という五項目を考えてきました。それこそ現代に続く仏教、いろんな宗派であるとか、いろんな地域に広がっていっているわけですが、その中でも、仏教が仏教であるなら絶対これだけは変わらないというようなものが実はあります。

それを最初期の仏教でみてみたいと思います。インドの地で仏教はお釈迦さまによって開かれたのですが、その仏教が中国に渡り、さらには朝鮮半島だとか日本などアジア全域に伝播すると、それぞれの仏教の様相は見た目かなり違ってきました。ところが、よく見てみるとそのなかにも同様なものが確かにあります。そして、ここでは何が同じで、何が違うかという知識ではなくて、どういうことが現代まで継承されてきたのか。そこに思いを巡らせていただければ、たいへん意味があるのではないかと考えます。まず授業に入る前に、ひとつだけ仏教の非常に独特な特徴というものを指摘したいと思います。仏教というのも宗教のひとつだと、おそらく考えていらっしゃると存じます。私もお寺の住職として、実際にお葬式をつかさどり、あるいは儀礼祭式を行うということをいたします。

そのように宗教の中のひとつが仏教なんだと。しかし実は、最初期の仏教というのは、確かにそういう側面もありますが、現代の日本で知られている仏教とはかなり違った形になる。それはどういうことか。
他にも宗教はたくさんあります。例えば、キリスト教であるとかイスラームであるとか、あるいは日本では神道という宗教があります。その他、世界には様々な形で様々な宗教がありますけれども、では仏教はそういう宗教と同じなのか、どこが違うのか、おそらく一番違っている点は、何かと言いますと、仏教では自分が「仏」になる。「私たち自身が仏になるのだ」ということです。今の日本では死んだら「仏さん」という言い方をしますし、その人がどういう生涯をたどろうと、どんな生活をしていようと、仏さまになる、成仏すると言います。これはこれで日本仏教の非常に大きな特徴です。

※上記は第29期のスクーリングの講義の冒頭を紹介したものです。