大乗仏教論「大乗仏教の成立と菩薩運動」(第30期スクーリング講義)

大乗という概念
大乗の原語はマハーヤーナというが、それは大きな(マハー)乗り物(ヤーナ)の意味で、劣小な乗り物(ヒーナヤーナ・小乗)に対する。自分自身の悟りはともかくとして、広く一切の衆生を救おうという利他行の立場を、悟りという究極の目標に向かって進む乗り物に喩えたのである。
その「大乗」という言葉を初めて用いたのは紀元前後に成立した「般若経」である。「般若経」によれば、従来の伝統的な仏教は「煩悩を断って修行者の最高の位である阿羅漢位を得ること」を目指している。しかし、それは自己の悟りのみを目標とする「信解の劣った[者の]道」(小乗)と断じ、自己の立場を大乗と呼び、その優位性を主張したのである。
大乗仏教徒は従来の修行者の階梯である預流・一来・阿羅漢(四四四果)といった声聞や独覚(=縁覚)の境地に満足してはいけない。そこに結びつく(小乗の)教えによっては、完全な覚りに到達することはできない。大乗の教えによってのみ一切智を獲得し、完全な涅槃に到ることができると主張する。

※上記は第30期のスクーリングの講義の一部を抜粋したものです。
※詳しい内容を知りたい方は、冊子「佛教文化」188号をご覧ください。