神話と仏教

人類は、その文化的活動の始まりとともに、神話を紡いできました。
ギリシャ語で言語を表す言葉には、ロゴス(論理)とミュートス(神話)の2種類があります。
現代の人類は、自分たちの理性で判断できるロゴスを中心に考えて、行動しています。すべてが合理的に説明できることを求める近代科学技術はその典型です。仏教で言うところの分別です。
しかし、人間の分別でとらえられない根源的なものを表すためには、神話が必要です。宇宙の中に地球が作られ、生命が誕生し、その中で人間、そして自分が生まれたことの不思議を感じ取るには、ロゴスの世界だけでは不十分で、神話の力を借りないと不可能です。無分別智の世界です。
神話に書かれた物語が、現代の科学的知見に合わないからと言って意味のないものとみなすことは、この神話の重要な機能を見落としていることになります。
仏教の経典にも様々な神話(この場合は仏話)が登場します。お釈迦様がさとりを得られたときに、世界を支配する神である梵天がさとりの内容を人々に説いてほしいとお願いしたとされる梵天勧請や、法蔵菩薩が永い思惟と永遠の修行の末に、すべての衆生を分け隔てなく仏にするという誓願を成就され極楽浄土を荘厳されたことは、作り話であるかどうかという次元を越えて、我々の計らいの及ばないものを、神話を使って表現しているのです。
神話でしか伝えられない教えを心で感じ取っていきたいものです。

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