宗教と哲学

哲学と宗教の違い、多分に哲学的要素も強い仏教を学び始めると、そのようなことが気になってきます。

両者は共に、唯一の真理を追究するという点では、共通しています。

哲学は、人間の理性に基づいて真理を求めていきます。一方で、宗教、特に仏教は人間の理性を頼りにならないものとして、絶対の真理(これをキリスト教やイスラム教では唯一神によって表し、仏教では仏によって表します)を直接感じ取っていくことを特徴としており、それを信仰や信心と呼んでいます。

18世紀から19世紀にかけて活躍したプロテスタントの神学者であり、近代神学の父と言われているシュライエルマッハーは、「宗教の本質とは、思惟でも行動でもなく、それは直観と感情である。宗教は、宇宙を直観しようとするものである」という言葉を残しています。ここで宇宙を直観するとは、真理のはたらきを感じ取っていくことを表しています。

明治期の浄土真宗の僧侶で、西洋哲学の思想に照らして仏教を捉え直した清沢満之は、「無限」という表現を使って真理を表し、宗教と哲学の違いについて、次のように述べています。

「理性は無限を追求するという仕方でこれに関わり、宗教心は受容するという仕方でこれに関わります」「理性は無限の真否を疑って、これを研究し、検討して、最終的に無限をきわめ尽くそうとします。したがって、もし理性が明確に無限を手にすれば、無限に関わる哲学の営みは終わることになります。ところが宗教心の方は、その第一歩目に無限の実存を確信して、無限へと向かいます。そして無限の感化を受けようとします。以上のことをまとめて言えば、哲学の終わるところに宗教の営みが始まるということになります」(清沢満之『宗教哲学骸骨』。現代語訳文は藤田正勝『現代語訳 宗教哲学骸骨』による)

哲学は必ずしも人の心に安心や安らぎを与えること(無限の感化を受けること)を必須なものとはしませんが、宗教にとってはそれが不可欠であるということを、また、ただの知識としての宗教には何の意味もない、ということをわかりやすく示してくれています。

#東京国際仏教塾 #仏教を学ぶ #仏教を知る

次の記事

獅子と牡丹